『感動』は、魂の刮目。
keep laughing until I die.ふと、「最近、感動しないな~」と、思いました。
可愛い子猫の目の前で「猫じゃらし」を振ると、
一生懸命に捕まえようとして可愛いですよね。

一方、10歳くらいの高齢猫は、
顔の前で、じゃらしを振っても「知らんぷり」「無関心」「しらけ世代」「勝手にしやがれ」・・・ジュリーも年取ったなぁ・・ってやつです。あ、ジュリーとは猫の名前ね。
そんな高齢猫のように、何事にも感動しなくなってきた。
裏を返せば「めっちゃ、感動したい!」って、事。

49年生きてきて、
何百回、いや、何千回、いや何万回と感動してきたただろうに、
「なぜ、感動したいのか?」と言う「感動」の「本質」と
向き合ってこなかった私・・・
皆さんは、ちゃ~んと「感動」と向き合って生きているでしょ?
ええ!?向き合っていない?
それなのに、
映画「鬼滅の刃」を見て「感動しました~」と言う日本人の何と多いことか・・・
「ぼーっといきてんじゃね~よ!」と、5歳の女の子に叱られるよ。
では、
「感動」と言う強い感情の波が、
どこから来るのか、一緒に探しましょう!

感動した時、体に起こる生理反応は、
鳥肌が立ち、身震いが起こる。
気づきにくいけれど「瞳孔」も開いて、対象をよりよく見ようとしています。
交感神経が優位になり、アドレナリンが放出され、
体は、まるで敵と遭遇した時のように『戦うか、逃げるか』と言う準備を瞬時に始める。
なぜ『感動』という、
人の気持ちをいい意味で高揚させ、
「生きている」という実感をより強く感じさせてくれる感情が、
敵に出会った時のような
「恐怖」の感情に近い生理反応を引き起こすのか?
『感動』でググった記事に、こうありました。
「感動の多くが驚きにより発動されるから」だと。
「感動」は「驚き」!
ストンと腑に落ちますね。
確かに、感動する時は映画にしろ、本にしろ、アートにしろ、
コンビニスイーツにしろ、
いい意味で裏切られた時ですもんね。
「えっやば!」っと、しばらく言葉が出ない、あの感じは、
まさに「驚き」です。びっくり(°▽°)
この記事に驚かされた!
「『驚き』は感動の母」だと、エジソンも言いました。
え?言ってない?
「驚き」について、その記事では、
「予期しない事態に動物が遭遇した時に起こる感情以前の本能的反応」
と書いています。
とてもわかりやすいですね。ウフフ d(^_^o)
熱いものを触った時、「熱い」と危険信号が脳に行く前に、
手は引っ込めているあれ。
草むらから何かが突然出てきた時に、
まず驚く、それからよく見て、
それが敵なら恐怖の感情が湧き上がり、闘争or逃避へとつながる。
敵ではなく、ただの風なら、
安心して、体の緊張を解く。
全身へと流れ出す血液は生の喜びを体の隅々まで届けて、リラックスする。
「恐怖」と「感動」は、感情の双子だったんですね。
生まれてすぐに、別々の道を歩き始めた2人。
危機を回避した後、
ダメージを受けた体の生理を回復させるために、
硬直した体の緊張を解き、心身の余裕を回復する。
恐怖や闘争にと発展しない「驚き」は、
安心感から余裕を持って物事に対峙できるようになり、さらに好奇心を引き起こす。
一つの感動は、人のポジティブな行動に深く影響して、次の感動を誘う呼び水となり、そうして人は、感動を得るたびに深く優しい人格を形成する。
食べ物から栄養を摂取するように、感動から魂の栄養を摂る。
感動は魂を刮目させるために神様が仕掛けた「ドッキリ大作戦」だったんですね~。テッテレ~。

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